
よたよたペンギン
シリウスをご存じだろうか。太陽の次に明るい一等星。孤高の星でもある。
不眠である。毎晩ではないものの辛い。
夜明け前に目が覚めて、嫌なことを考えるのが止められない。朝が来れば笑い飛ばせる。笑い飛ばすことができてるようになる。なんであんな変なことを考えちゃったんだろうね。きっと惑う時間帯と、仲良くし出してるに違いない。先に進まなくてはいけない。言い聞かせながら眠りに就くが、夜になると無数のニードルのような狂気が心を苛んでくる。手に負えない。無念なのか、悔しさか。容易に他者を信じた愚かさか。夜通し後悔に痛めつけられる。

仕舞い方がわからない無能な奴め。愚かなくせにナニサマのつもりだったのか。。眠れない自分を、妙に覚醒したあるべきはずの自分を糾弾する。一睡もできない。昼に整理をつけたはずの感情が、寝しなに不穏な昂ぶりを兆し出す。最近親しくなったgeminiちゃんに、悪しき感情の制し方を尋ねてみる。感情のおさめ方について教えを乞う。
得た答えは、一時絶大な説得力を持つのだけれど、砂地に立つ棒切れのように、夜になれば非力だ。どうにも手に余る感情に説き伏せられる。イライラなのか、怒りなのか、戸惑いか、悲壮なのか絶望なのか、見極めることができずに混濁する。わからないもの相手の戦いは、周知の事実であるけど対処しようがない。お手上げ状態である。
間違えてはいない。なるべくして得た最良の結論だとも思っている。納得しているはずである。気持ちを整え、シフトチェンジはうまく行った。なのにである。こいつは夜になると、とてつもない勢いで感情を暴発させるのである。

草津に来ている。休養に来たはずなのに、後悔に悶絶したまま夜を明かし、一睡もできないまま朝がきた。
今日から娘夫婦が合流し、夜は長子の孫と過ごすのが恒例である。部屋の電気を消したあと、私と孫は、布団をかぶって密かな女子トークを繰り広げる。大抵は小4になる孫のウチワ話を聴くのだが、最近の彼女は妙に大人びて、手放しで私を慕ってはくれない様子。女の子は成長が早いのだ。寂しいかな、蜜月はそろそろ終了のよう、もやもやする脳みその中で現実を見つめている。
昨夜は寝てないから、孫の来室はなしでお願いしたい。まあ、妙に大人びてきているから、孫もそう残念に思うことはないと思う。残念だけど。娘にそんな言い訳を持ち出した。娘は孫に言い聞かせてくれて、泊りなしを飲み込んでくれた孫と、夜の露天風呂に向かう。
2人きりになる。「一緒に寝られなくて、今夜はごめん」と詫びる。いいよと言ってくれると思っていたのに、孫は「なんでだめなの?」と責めてくる。
ばあばさあ、バカみたいな話なんだけど、と9歳の孫に打ち明ける。子ども相手になに言ってんだか…と思いつつも、「嫌なことが消えないの」と切り出す。『ある人をどうしても考えちゃうの。キライって思えたらいいんだけど。難しくて。ぐずぐずな自分が嫌なのかなあ、弱虫な自分を許せないのかなあ、よくわからないんだよ」と考えなしに吐き出した。子ども相手にナニ言ってんだかと、2度目のブレーキを踏み込んだものの、なんとはなし、案外真っ直ぐ気持を発露しているようでちょっと驚いている。
孫はこんなことを言った。「Aちゃん(孫は自分の事を名前で示す)ね、嫌いな人いないはずなんだけど、一人だけなんだけど、どうしても許せない子がいるの」あら、それは悲しいね。「Aちゃんはね、ほんとは怒ると怖いんだけど、一歩手前で怒んないの」バスケットのチームの話、その子とのたびたびのいざこざ。「親友って思われてるんだけど、ほんとはだめなんだけど、好きじゃないんだ」「我慢したんだけど、その子怒ってね、ママに言いつけるって言うの」お湯の中でぴょんぴょんしながら話し出す。「ねえね、ばあばって何座?」ん? 随分おませさんなことを言い出したと思いながらも答えると、「Aちゃんは○○座、怒ると怖いんだけど、怒らないようにペンギンみたいにしてるの」と、よたよたと歩いて見せる。「ぶんっぶんて歩くと怒っちゃうでしょ、だからわざとよたよたするの」そうなんだ。「ほんとはね、「だめでしょ!」って言いたいの。耳ないの? わかんないの? 口から嫌なこと出さないで」って言いたいけど、我慢我慢。意地悪されてママに言われて、すごくママに怒られると思ったんだけど、ママはねヨシヨシしてくれた。嬉しかった」「Aちゃんはね、ガワ(ガワ?)うん、顔とか体とか外側はパパに似ているんだけど、中身はばあばなの。一緒だね。先生も我慢は勇気って言ってくれた」。
なぜ、そこで私が出て来るのかわからないが、子どもだと思っていた孫が、一生懸命に慰めようとしてくれる。その気持ちが思いの外嬉しくて、思い切り泣いてしまいたくなる。私に似ていると、嬉しそうに言うことも、「勇気」という言葉で、幼稚園や小学校で経験したエピソードを披露してくれたことも、孫ではなくて、なんだか大きなものから言い含められているようで、たまらなくなる。

一緒に寝るのがしんどいなどと思った30分前の自分が恥ずかしい。この子が私を好いてくれるのは、きっと甘々な年寄りだからだろうと思っていたけれど、その見立ては見事に外れていた。まだ一桁しか生きていないにもかかわらず、私の大切にしたいことをちゃんと見ぬいて、「中身はばあばなの」などと言ってくれる。私を好きでいてくれる。
「ママはうるさいけど、Aちゃんが大事だからなんだってパパが言ってた。でもさ、いちいち全部言わなくてもいいのにさ」と、ほんとうによくまあきちんと見ているもんだ。
ママの心の根っこには、ものすごく綺麗な小川があってね。その小川は澄んだ水でできてるんだよ。怒っている時、わかりにくいだろうけど、世界で一番Aちゃんを大事に思ってる。だから安心ってばあばは思う。あなたはどう思う? 「ママとじいじって似てるよね」。孫が笑う。「私さ、ばあばの本読んだんだよ、Aちゃんのことも書いたでしょ」。
あらま、読んだの。来年また出すよ。そしたら1冊プレゼントしなきゃね。読んでくれる? 「良いよ、いつか一緒に本書こうよ。タイトルはね、「こどものせいかつ」。なんだそれ? 「起きてからのこと全部教えてあげる。お仕事がんばろうね」。
シリウスの星。太陽の次に明るい恒星、一等星。
私の悩みと、9歳の孫の悩みは、妙になんだかシンクロしていて、それは親密な大きなかたまりで、見事に心を溶かしてくれる。こんなに大人びて、こんなに大きな優しさを持っていて、それを惜しみなく打ちひしがれている私に注いでくれようとする。
一睡もできない夜に、相手を責めたり、いつまでもそれを止められない自分の弱さを責めたり、固執しているようなみっともなさ。自分は恵まれていると、無理やり説き伏せようとしていた心の小ささが、苦しんでいる原因なんだと、納得のスイッチが入り出す。正当性を手に入れたい卑小で貧しい心に、この子は気づかせてくれた。馬鹿みたいな打ち明け話を受け止めようとしてくれた。
嫌なことなどもうどうでもいい。やり過ごせないなら、今度こそ黙って時が来るのを待とう。解決を急がず、この子のように、よたよたペンギンになって、やり過ごすことの方が大事なのだ。
ママの部屋に送り届けて、「おやすみ」という。「ばあば、おやすみ」締まるドアを押し返し、「またお話ししようね。ばあばといろんなお話しするの大好きなの」。孫の瞳はキラキラしていた。山の上の星空に煌めく一等星と同じ光だ。
眩しいシリウスのわきに、光を滲ませた月が見える。見上げなければ目に入らない。豊かで澄み渡る優しい光。いつまでもこうしちゃいられないな。らしくないや。
「子どものせいかつ」って、どんな本になるのやら。こんな時、素敵な挿し絵が描けたら良いのに。
明日は真っ直ぐ立てるのか、まだわからないけど、杖も支えも気づかないだけで実は身近にあったのだ。お月さまの光を浴びてこよう。そして今夜はカーテンを開け放して寝よう。
弱虫になるのも時には良い。この心許なさを忘れない。正しくなくても、勝ち負けに落とし込もうとするのはやめよう。優しい光、今日の彼女のように、私もいつかきっと誰かの心に勇気の元を伝えたい。誰かの役に立つことが仕事を続けていく核だった。大事にしていたものを取り戻すよう、月の光を浴びながら眠りにつこう。
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